毎日新しい事が起きる幸せ
言葉の壁
ドイツ語との対峙
買い物をしていても、街を歩いていても英語と全く異なる言語を浴びている感覚に陥る。もちろん、アジア圏とは違ってアルファベットが読めるという点は唯一の救いである。
スペイン語を勉強したときは、ベースがラテン語ということもあり英語の知識を使って単語の意味を推測することができた。発音もやりやすかったので、街中で話せるようになるまでは時間がかからなかった印象である。日本人から見た中国語と同じで、文法は全く異なれどなんとなく書いてある言葉の意味が分かるというのは学習コストが非常に小さい。
ドイツ語は、そういうわけにはいかないようだ。英語と親戚というのは文法上の話であって、似て非なる言語だと思う。
単語が全く異なるというのは致命的だ。推測もできないし、記憶への紐づけができない。脳内のデータベースを一から構築していかなければならない。これまでの経験からして、1000~2000単語ぐらい詰め込まないと脳の中にドイツ語の単語学習回路が形成されないだろう。どこかで加速する瞬間が来るので、そこまでは地道に単語に触れ続けることが必要である。
ドイツ語の単語(名詞)という観点で一つ好きな部分は、日本語と同じように熟語を形成するというところである。例えば、ソーセージを意味するWurstという単語があるが、
- 白ソーセージ Weißwurst(白+ソーセージ)
- ビアヴルスト Bierwurst(ビール+ソーセージ)
といった具合で、単語が合体するのである。
一方通行なんてのも、Einbahnstraße (1+道・方向+道路)といった具合だ。
つまり、基礎単語をある程度覚えていけば、これは○○っぽいなという推測ができるようになるのである。
何気なく目にした案内や注意書きの意味が理解できるようになってくると、不思議と日本語で見たような気分になる。「ドイツ語で見た」という状態から、意味を理解して「意味を見た」状態に変化している証拠である。今が一番スポンジ脳なので、2か月ぐらいはこういった小さな喜びが続くだろう。
しばらくすると鈍化するので、そこからが実践フェーズとなる。
聞き取れるか
ドイツ語の聞き取りは、単語さえ覚えていけば何となくできるようになる。というよりも、1週間程度では買い物などの定型コミュニケーションしかしないので当然といえば当然だ。
名詞については、先の例であったように熟語化するので一部が聞き取れれば、なんとなく言わんとすることが分かることがある。問題は、動詞の方で全くわからない動詞が来ると手も足も出ない。(そして英語と全く違う。)このあたりは、勉強するしかないなというポイント。
ちなみに、会社の休憩時間にショッピングモールで買い物をしていたのだが、IDカードをぶら下げていたせいで3回ほど店員に間違えられた。大学で第二外国語としてドイツ語をやっていた時に、真っ先にち覚えたのが「Entschuldigung」(すいません)という単語。呼びかける際に重宝するので大好き。
今日はそれを3回聞いて、毎回そのあとに暗号(ドイツ語)が飛んでくる。「xxxxはどこですか?」「xxxxが欲しいです。」といった具合に。一度だけちゃんと聞き取れたのが、「Sind Sie Mitarbeiter hier?」という質問。
Arbeiterという部分で、「あー、従業員かと聞かれているんだなぁ」と感じ「Nein(いいえ)」と答えたら合っていたようだ。そのあと、その女性は「カードぶら下げてるから、従業員だと思っちゃったわ。ごめんなさいね、私ったらもう(笑)」みたいな事を言っていた。たぶん。
なんだかほっこりしながら、「そうか、IDカードぶら下げて買い物するのはやめよう」と思ったのである。
仕事の始まり
少しづつ、こちらでのミーティングに参加したり市場調査を行ったりする機会が増えてきた。
長く続いた時差ボケからもようやく解放されて、頭が回るようになってきた。
ひとまずわかっていることは、業績のあまり芳しくない部署で少ないリソースの中ビジネスを考えなければならないということだ。こちらでの仕事の進め方もわからない中で、どこにあるかわからない課題を分析しつつ実績を出さなければならない。しかも、これまでのキャリアとは異なるスキルセットが求められる世界で、である。
学ぶことも多く、(ちょっと苦手な)コミュニケーションを積極的にとらないといけない。ある意味、体調に気をつけつつも、背水の陣を敷きながら動き続けないといけないなと気が引き締まる思いである。
はみだし
運転は、なかなか慣れないね。社用車が少し大きめなのと、周りに気を遣い過ぎているのかもしれない。しばらくは、習うより慣れろとうことで安全運転しながら適応していこう。
2022.10.27 (Wed.)
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